#10年間を振り返るをやってみた【プロフィールに代えて】

10年間を振り返る コラム

つい最近、Twitterで”#10年間を振り返る”というハッシュタグがバズりました。
流行りに便乗して僕もやってみました。

・22歳 中国から帰国
・23歳 内定取消・再就活
・24歳 就職
・25歳 合コン幹事を開始
・26歳 求婚
・27歳 婚約者に婚約破棄される
・28歳 不動産投資を開始・中国語交流会を立ち上げ
・29歳 交流会会員が千人超
・30歳 交流会会員が2千人超
・31歳 台湾人と結婚・会員が3千人超
・32歳 FPになる・ブログ開始


Twitterは140文字の制限があるので、かなり無理して詰め込んでいます。の記事をプロフィールとして執筆します。少しだけお付き合いください。



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22歳 中国から帰国

僕の人生で1番の転機は、20歳の時に中国留学を決意したことです。


ここから僕の人生は始まったといっても過言ではないくらい、自分のこの決断に感謝しています。
学生時代に合計1年半の中国留学をし、22歳の時に帰国しました。

23歳 内定取消・再就活

内定取り消し

中国から帰国した僕は毎日のように就活の面接を詰め込み、おかげで春の早い時期に東京にある東証一部上場の企業から内定を頂きました。


大学最後の1年は悠々自適に遊びまくっていました。
卒業旅行は1人でバックパッカーとして中国を1周することにしました。


広州から入り、まずは西の四川へ。次は北に向かい新疆まで到達。そこから敦煌を経てゆっくり東へと移動し、北京に着きました。


忘れもしません。


北京のユースホステルでパソコンのメールを開いたところ、大学の先生からメールが1本入っていました。メールを開くと、


「疑義面談をしますので、明日大学まで来てください」


と一言だけ書いてありました。義を疑う面談と書いて疑義面談。いい予感はしませんでした。
卒論で何か問題があったのかな?と思いました。


とは言え自分はいま北京にいるので急に帰国はできない旨を返信すると、先生から返事はありませんでした。


結局僕は旅の最終地点である上海まできっちりと満喫し、卒業式の3日前に日本に帰国しました。
帰国してすぐにパソコンを開いた僕は、また先生からメールが来ていることに気が付きました。


そのメールの内容に、目を疑いました。


「卒業までに必要な単位が足りていません」


卒業式までたったの3日。天地がひっくり返るとは正にこのことでした。


そこからは実はあまり記憶がありません。
脳が記憶することを嫌がっているように、そこからの出来事には靄がかかっています。


当然ながら内定は取消となりました。


父は酒に溺れ、母は泣き、僕はまっすぐに歩けなくなり、顔の筋肉が動かなくなりました。


人生で初めての挫折は、自分だけでなく家族にまで大迷惑をかけることになりました。


失意のどん底にいようとも、時間は止まってくれません。
もう2度とやりたくないと思っていた就活を、またやることになりました。


結果的には最初に内定を頂いた企業よりさらに大きな企業から内定を頂くことができましたが、何も感じることはありませんでした。

24歳 就職のため上京

さすがに留年した年は入念に単位を取り、無事に卒業して就職することになりました。


まだ上手く笑えない状態でしたが、内定が取り消しになっていなかったら知り合うはずもなかった同期や新しい友人と知り合うことになり、縁とは不思議なものだと思いました。

25歳 合コンの幹事を始める

合コンの幹事

社会人2年目。この頃はとにかくよく飲みに行っていました。
週に何回も飲みに行くこともあり、知らない人が開催している合コンや街コンにも参加しました。


初対面の人と会話することも、この頃から次第に緊張しなくなりました。
純粋に新しい人と出会うのが楽しかったです。


ところが巷の飲み会に参加しまくるうちに、何か物足らなさを感じるようになっていきました。


ひたすら時間とお金を浪費していることに、一抹の不安とフラストレーションを感じるようになってきたのです。


どうせ飲み会に参加するなら、主催者側に回りたい。
そう思うようになり、自分で定期的に男女を集めて合コンを開くようになりました。


とは言えこの頃はSNSで宣伝するとかもしておらず、友達に”友達を連れてきて!”とひたすらお願いするという、なんとも参加者側のプレッシャーが大きい運営をしていました笑


結果的に数か月で合コン幹事は辞めましたが、この時にイベントを主催する楽しさを知りました。


少しだけでも利益が出たし、参加者から感謝の言葉を頂けることにとても感動したのです。
この時の体験が、20代の後半で花を開くことになります。

26歳 プロポーズをする

当時付き合っていた彼女にプロポーズをしました。
この時は、後に訪れる悲劇を知る由もありませんでした。

27歳 婚約者に婚約破棄される

婚約破棄

中国留学が第一の転機、内定取り消しが第二の転機だとすると、
この婚約破棄が第三の転機のきっかけとなりました。


結婚式を間近に控えた僕たちは、僕のアレルギー体質のことで喧嘩になりました。
喧嘩はよくあったのですが、この時は会うことすら叶わず、ある日突然LINEで別れを切り出され式場の予約も取り消されていました。


結局最後まで相手と会うことはできず、わけもわからないまま僕はすでに招待していた友人たちに会いに行き、いきさつを説明して謝罪して回ることになりました。


遠くに住む親に結婚式が無くなったことを電話で伝えるときは、情けなくて涙が止まりませんでした。大人になっても人はこれほど泣けるのかというくらい、この時に一生分の涙がでました。


一段落ついたころ、心身ともに疲弊しきっていました。

内定取消の時の比ではないくらいまた多くの人に迷惑をかけてしまったという自責の念に、押し潰されそうでした。また顔の筋肉がちゃんと動かなくなり、上手く笑えなくなりました。

ただ、この時に一つだけ心に誓ったことがあります。

それは、絶対に今の人生を変えるということでした。

28歳 不動産投資を開始・中国語交流会を立ち上げる

不動産投資

絶対に人生を変えるという決意をした僕は、前々から興味のあった不動産投資を始めました。


書籍を読み漁り、毎週セミナーや大家の会に参加し、銀行から融資を引いて物件を購入していきました。

何千万ものお金を銀行から借りる時、さすがに書面にサインする自分の手が震えていたのを覚えています。それでも何としても人生を変えたいと思っていた自分は、不動産投資家としての第一歩を踏み出したのでした。


区分から始め、のちに1棟、2棟と物件を買い増していきました。


不動産投資は”不労所得”と言われるほど楽に稼げるものではありませんでしたが、それでも会社の給料とは別に毎月振り込まれる家賃収入を見るたびに、収入源が複数あることのありがたさとその重要性を学びました。


28歳の時に始めたことでもう1つ、僕の人生を変えることになった出来事は、中国語の交流コミュニティを立ち上げたことです。


それまでの僕は、東京で開催されているありとあらゆる中国語交流会に参加していました。


そこで感じたことは、”全く面白くない”ということでした。
一つとして面白いと感じる中国語の交流会はなかったです。


理由は様々で、年齢層が高すぎたり、ほぼ男性しかいなかったりもありますが、参加者の中国語のレベルが低すぎるというのが第一の理由でした。


自分が面白いと感じる交流会が無いのなら、自分で作ってしまおうと思ったのです。


自分のようにガチで中国語を愛している人が集まる集団、ネイティブが日本語で話してきても食い気味で中国語で返すような変態が集まるコミュニティを作りたい、そう思いました。


元々は合コンの幹事をしていましたので、あまり心理的なハードルは感じませんでした。できなかったらどうしようという不安もありませんでした。


とにかく自分を限界まで忙しくしないと、悲しみで精神がおかしくなりそうでした。


こうして、28歳からサラリーマン・不動産投資家・中国語コミュニティの運営者という三足の草鞋の生活が始まりました。


コミュニティの作り方に関してはこちらの記事で詳しく解説しています↓
失敗しないコミュニティの作り方まとめ【この4ステップだけ】

29歳 中国語コミュニティの会員が1000人突破

28歳の時に中国語交流コミュニティを立ち上げてからは、毎月1回は交流会を開催していきました。


場所もコンセプトも毎回変えて、時には他の中国語交流コミュニティとコラボもしたりしました。
同時にfacebookをはじめとするSNSマーケティングを学び、ネット上で積極的に発信を始めました。


少しづつではありますが、徐々に会員が増えていきました。

交流会の収益化についてはこちらの記事で詳しく解説しています↓
副業として交流会を主催して稼ぐ4のコツ【体験談あり】

30歳 中国語コミュニティの会員が2000人突破

30歳になってもひたすら毎月のように交流会を開催していきました。


ただの飲み会だけではなく、キャンプやスノボなどの旅行企画も打ち出し、少しでも多くの人と知り合える機会を創り続けました。

この時たまたま参加してくれたある台湾女性と、お付き合いすることにもなりました。

31歳 台湾人と結婚・中国語コミュニティの会員が3000人突破

31歳で上記の台湾人女性と結婚することになりました。
もう誰かと結婚することはないとすら思っていましたが、結果的には自分で作ったコミュニティのお陰で、素敵な女性と一緒になることができました。


この時には中国語コミュニティの会員は3000人を突破していました。
facebookグループにイベントを公開すると、特に自分から宣伝しなくても数十人は集まってくれる状態になりました。

32歳 FPになる・ブログを開始

結婚を機に、将来について考える機会が多くなりました。


まず頭に浮かんだのは、お金についてです。
大人になればわかると思っていたお金の事は、大人になっても全然わかっていないと思いました。


32歳はちゃんとお金の勉強をしようと決めた時に、せっかく勉強するならFP(ファイナンシャル・プランニング技能士)の資格を目指そうと思ったのです。


FPになるまでのストーリーに興味がある方はこちらの記事をどうぞ↓
ある大富豪のたった一言が、僕の人生を変えた

そして最後に、32歳からこのブログを始めました。


このブログは、僕の中国語コミュニティに所属してくれている中国語好きの方へ書いています。


コミュニティを運営していると、人の悩みを聞いたり見えたりすることが多くなります。
コミュニティを運営して丸4年、人の悩みを聞き続けた4年だったとも言えます。


気付いたことは、交流会に参加してくれているみんなの悩みは4つに分類できると言う事です。

具体的には、

・お金のこと
・転職のこと
・引っ越しのこと
・恋愛/結婚のこと

この4つでした。


FPとしての知識や僕が今までやってきた投資や副業のことを伝えたい。
そしてコミュニティの会員が抱えている悩みを少しでも解決できるような人間になりたい。


僕の人生を変えてくれたコミュニティの参加者に対し、少しでも恩返しができたらという思いで、このブログを開設するに至りました。


まだ始まったばかりですが、少しずつ、魂を込めてお伝えしていきたいと思っています。

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